本文へスキップ

秋田中央建設業協会 建設産業サポーター 貝田 裕

TEL. 018-862-7778

〒010-0951 秋田市山王4-3-7

建設産業サポーター見聞録貝田 裕

 

第20回 石巻赤十字病院                      [PDF]

■東日本大震災による地震と津波で石巻市は甚大な被害を受け、市内に116あるほぼ全ての医療機関が機能を停止、石巻赤十字病院が災害拠点病院として、近郊20万人の医療を引き受けることになりました。この様子は連日テレビや新聞などで報道され、病院の存在がクローズアップされることとなりました。
■2006年5月、現在地に移転新築された病院は、三陸自動車道上り線と救急車退出路で連結されています。災害拠点病院として機能を発揮できたのは、移転新築時に大地震に備えいくつかの対策を行ったことが挙げられます。
■一つは、旧北上川の洪水対策のため3メートル盛土を施工したことにより、津波による浸水被害を免れることができたこと。二つめは、電気引き込み系統を複数化、最上階に発電機設置、さらに受水槽を設置して用水を備蓄、ライフラインを確保したこと。三つめは、免震構造を採用したことにより、重要医療器具の転倒破損がなく病院機能が維持できたことがあげられています。
■免震装置は、地下1階、地上7階、建築面積10,173平方メートルの建物を、地下2階にある鋼製ダンパー、積層ゴムアイソレーター、弾性滑り支承、計124個で支える構造となっています。免震装置に設置された記録計によると、地震時の最大変形量は26cm、設計時想定49cmの半分で十分な安全が確保されていました。また、U型ダンパーも「疲労損傷しているものの設計要求を満たしており、今後も継続的に使用可能である」とされています。
■現在病院は、増改築工事が進み、3月末に、「災害医療研修センター」が完成、7月に完成予定の「北病棟」は現在工事中で、この秋には「夜間急患センター」の着工が計画されています。また、2015年3月に、三陸自動車道石巻北ICの供用が開始され、三陸自動車道から石巻赤十字病院へ直接アクセスが可能となります。
■震災から4年が経ちました。石巻赤十字病院から5キロメートル海側の門脇地区は、特に被害の大きかった地域です。ここでは2014年8月、道路を3.5メートル嵩上げして道路の山側を市街化する区画整理事業が、旧市街地では初めて着手されました。宅地は2015年秋からの分譲を予定しています。新たな街並みを再建する工事が始まりました。道路や病院などの社会基盤の復旧、整備は着々と進んでいますが、住宅や商店など被災地の「まちづくり」はこれからです。

 

第19回 平成の津波記念碑                      [PDF]

■東日本大震災の津波に襲われた被災地では、地域の再生や産業の復興と共に震災の惨状を後世に伝える取り組みも行われています。そのひとつに、津波の到達地点を示す石柱や津波の教えを訴える石碑の建立があります。
○岩手県田野畑村田野畑駅前 「津波到達地石柱」
■高さ20メートルを越える津波で、駅前から見下ろした家並みと海の自然景観が織りなす伝統的な漁村景観が失われた田野畑地域。その駅前に津波到達地点を示す石柱が設置されています。石柱の設置は、全国のロータリークラブからの資金援助を受けて、宮古市や田野畑村を中心に18箇所で進められていました。
○岩手県大船渡三陸町吉浜地区 「津波記憶石」
■明治と昭和の大津波の後、高台移転や耕地整理を進めたことにより平成の津波の犠牲者が一人にとどまった吉浜地区に2014年3月、「津波記憶石」が建立されました。「吉浜 奇跡の集落」と刻まれた石碑と先人の教えを伝える石板は、津波の到達地点である新山神社近く、今は耕作地となっている昔の集落跡地を見下ろす高台にあります。
○岩手県釜石市唐丹地区 「明治・昭和・平成の石碑」
■江戸時代の伊能忠敬測量碑のある高台の麓に、明治の「海嘯遭難者記念之碑」、昭和の「昭和八年津浪記念碑」そして平成の「伝え繋ぐ大津波碑」が並んで立っています。平成の記念碑には地元唐丹本郷地区の小、中学校生徒ら95名による未来へのメッセージが刻まれています。
〇宮城県女川町女川地区 「津波記憶石」
■標高16メートルの高台にある女川町地域医療センター近隣公園に2014年11月、女川中学校生徒による「いのちの石碑プロジェクト」と連携した津波記憶石が完成しました。石碑には、生徒たちが作成した「千年後の命を守るため。ここは津波の到達した地点です。」の碑文が刻まれています。頂点が津波の押し寄せた高さになる記憶石からは、盛土工事が進む市街地が一望できます。
〇宮城県東松島市牛網地区「津波の教え石」
■石碑は、日本で最初の近代港湾が計画された「野蒜築港跡」の後背地、牛網地区に建築メーカーの支援により設置されました。碑文には「ここにも津波は来る。まずは逃げる・・・高台へ。伝えてほしい未来に生きる人達へ」と記され、地域のシンボルとして後世に伝えられます。
〇宮城県仙台市宮城野区「波来の地石柱」
■石柱が設置されているのは、海岸から3.8キロメートル内陸にある仙台東道路横、標高4.2メートルの加茂皇神社の境内。側面には、「災いをはらい、復興支援者への敬意をはらい、永久に注意をはらい続けることを願う」と記されています。建立は、宮城大と石巻専修大の学生が取り組むプロジェクトを宮城県が引き継ぐ形で進められ、仙台市や石巻市を中心に130基が設置されています。
■これまで何度も津波に襲われた地域では、命を守るための努力がなされてきました。今、過去の津波記念碑の存在を見直すとともに地域や次世代へ震災の教訓を伝え、何よりも「千年後の命を守る」ため、新しい「平成の津波石碑」が被災地で造られています。

 

第18回 海のミュージアム                      [PDF]

■東日本大震災では、海に面して建設された博物館や水族館も津波による大きな被害を受けました。これらの施設は、地域の暮らしや歴史を伝え海の魅力や豊かさを発信する場となっていました。現在、営業を再開した施設や復旧に向けて工事中の施設もありますが、既に取り壊されてしまった施設もあります。
〇岩手県山田町「鯨と海の科学館」
■鯨と海の科学館のシンボルは、商業捕鯨が禁止される前、三陸沖で捕獲された世界最大級17.6メートルのマッコウクジラの骨格標本です。海水に浸った標本は、高さ8メートルの津波を泳ぎきった奇跡のクジラとして復活します。同館では、来年度中の再開を目指して、今年7月から本格的な復旧工事が始まりました。
〇宮城県気仙沼市 「シャークミュージアム」
■シャークミュージアムは、鮫の水揚げ日本一を誇る気仙沼港で、鮫の生態や種類、分布を紹介するため建設されました。併設されていた海鮮市場「海の市」は、震災前には年間100万人を超える観光客が訪れる気仙沼市随一の観光施設でした。震災から3年4カ月の今年7月、リニューアルオープンした同館の震災関連コーナーでは、地域の被災状況や震災以降の復興の歩みを展示しています。
〇宮城県石巻市鮎川 「おしかホエールランド」
■おしかホエールランドは、三陸沖調査捕鯨の基地鮎川港に、捕鯨の歴史とクジラ文化を守るために建設されました。施設や商店が並んでいた鮎川浜地区は10メートル近い津波に襲われ壊滅的な打撃うけました。石巻市により廃止の方針が決まった建物本体は、取り壊され敷地内に展示されていた捕鯨船第16利丸だけが現地に残されています。
〇宮城県石巻市 サン・ファン館(慶長使節ミュージアム)
■サン・ファン館では、今から400年前、仙台藩主・伊達政宗が建造し、支倉常長らの慶長遣欧施設を乗せて太平洋を渡った船の復元船を展示していました。施設は、震災による津波でドッグ棟が破損、強風で復元船のマストが折れるなどしたため閉館を余儀なくされました。その後、日本航海学会と宮城県が復旧・修復にあたり、昨年11月、2年8カ月ぶりに施設を再開することができました。しかし、江戸時代にサン・ファン・バウティスタ号が出航した月浦地区に設置された常長像の前には、まだ仮設住宅が建てられたままです。
〇福島県いわき市 アクアマリンふくしま
■小名浜港第2埠頭に設置された水族館で、4.2メートルの津波が施設を襲い一階部分が水没してしまいました。セイウチなどの大型海獣は他の水族館などに避難させましたが、水の管理が出来なくなった海洋生物20万匹が全滅してしまいました。このような状況にもかかわらず水族館は、震災からわずか4カ月後の2011年7月、がれきの中で営業を再開しました。
■被災地では復興が進んでおります。各所に津波の傷跡は残っていますが、復旧した観光施設や2013年5月に創設された三陸復興国立公園などの景勝地は以前と変わらない姿をみせております。被災地を見て、地場産品を買い、宿泊することも今できる復興支援です。

 

第17回 市街地再生                      [PDF]

■東日本大震災で被災した沿岸市町村で、高台造成や市街地再生工事が、本格化しています。高台に住宅地を造成し、山を掘削して出た土砂で市街地を嵩上げし商業区域等にする計画で、従来の重機に代わり巨大なベルトコンベヤーを活用して造成工事を行っている地域もあります。
○岩手県宮古市田老地区
■地区を覆いつくしていたがれきは姿を消し、「万里の長城」と呼ばれた巨大堤防内側の旧市街地は、更地のままです。北東部の山地は切り崩され、高台造成現場から低地に向けて重機による工事が進められています。「X型」に交わる巨大堤防は、内陸側で高さ10メートルから10.7メートルへの嵩上げが進み、町はその一部を震災遺構として保存する方針を決めました。
○岩手県山田町織笠地区
■津波により壊滅的被害を受けた織笠地区では、背後の高台に住宅地を造成して、被災市街地を7~8メートル嵩上げする工事が始まりました。造成の土砂を搬出するベルトコンベヤーは、造成地そばの小学校や住宅への配慮からパイプ状で騒音を軽減する構造を採用しています。
○岩手県陸前高田市中心市街地
■最大12メートルを盛土する計画の市街地造成するため、総延長約3キロメートルの巨大ベルトコンベヤーが動き始めました。一日2万立方メートルの土砂を搬出する施設は「希望のかけ橋」と名づけられ、2018年度の嵩上げ工事完成を目指して稼動しています。
○宮城県南三陸町志津川
■復興計画で、旧市街地に住宅を再建できなくなり、高台移転が計画されています。市街地は山を削って出た土砂で10.6メートルに嵩上げ、区画整理して商業地にする計画です。保存か撤去かで議論の続いている旧防災対策庁舎のすぐそばでも嵩上げ工事が行われています。
○宮城県女川町中心市街地
■町は、内陸側に150メートル移設するJR女川新駅を中心に平均10メートル嵩上げして、水産加工団地、商業施設、公共施設を整備する方針です。周辺の山を切り崩して出る土砂約600万立方メートルは、大型重機を用いて造成が進められています。2015年春に予定されている「まちびらき」に合わせ、JR石巻線も4年ぶりに再開の予定です。
○宮城県東松島町野蒜地区
■ダンプカーに代わる全長約1.2キロメートルのベルトコンベアーが、土砂を運んでいます。市は、施設の建設費は約70億円と高額だが、ダンプカーで4年近くかかる工期を3分の1に短縮して、市街地の復興を早期に進めたい意向です。
■日本創生会議は、人口減少により将来的に多くの自治体が消滅する可能性があるという推計を発表しました。また、宮城・岩手両県は、復旧・復興工定表を見直した結果、主要事業の完成が予定より2年遅れて2017年度になるとの見透しを明らかにしております。高齢化と人口減少が進んでいた被災地では、「まちづくり」が進まないなか人口が流出して、自治体の消滅という課題が、現実味を帯びてきました。地域の復興将来像を踏まえた早期の市街地の再生が望まれます。

 

第16回 日和山                      [PDF]

■日和山と呼ばれる小高い丘が、秋田県能代港など全国の港近くに約80箇所あります。見晴しがきき、船人が海上の空模様を予測した山で、海からの目印としても利用されていました。東日本大震災の津波による被災を受けた太平洋沿岸地域にも、日和山と呼ばれる丘があります。そこから見える被災地域の現在の姿です。
〇宮城県石巻市日和山
■旧北上川に面した標高56.4メートルの桜の名所としても知られる丘で、500人が犠牲となった門脇地区や海岸線が一望できます。津波と火災により被害を受けた門脇小学校では、多くの生徒や住民が裏の山に登って津波から避難をしました。現在、新門脇地区は、UR都市整備機構による土地区画整理事業で建物基礎工事や浄化槽の撤去工事が始まっています。
〇仙台市宮城野区日和山
■仙台港の南側にある蒲生干潟に面し、環境省により「鳥類観測ステーション」に指定されていた丘です。バードウォッチングやサーフィンなどで当地を訪れる市民が、憩いの場として利用していました。標高6.05メートルの山は、日本一低い山ランキング1位でしたが、1996年、大阪市の天保山(4.5メートル)にその地位を譲りました。しかし、東日本大震災による津波で大きく削られた山は、2014年4月9日、国土地理院の調査により、標高3.0メートルと認定され、18年ぶりに日本一低い山に復帰しました。一帯は、災害危険区域に指定され区画整理が進められる予定ですが、地元の中高生有志は干潟を保存するため、コンクリートによらない緑の防潮堤造りを県と市に提案しています。
〇宮城県名取市閖上日和山
■名取市閖上漁港の西、海岸線から約700メートル内陸側にある標高6.3メートルの築山で、山頂の神社は8.3メートルを超える津波で流失しました。住民5,700人のうち750人が亡くなった地域一帯を見渡せる日和山は、震災後、多くの人が訪れ鎮魂の場となっています。他地区に先駆けて始まった復興計画は、現地再建を進める行政と内陸移転を希望する住民との間での合意形成が難航。当初、70ヘクタールを3メートル盛土する計画を32ヘクタールに規模を縮小し、集団移転と併用して進める土地区画整理事業が動き出しました。
■震災から既に3年半が過ぎようとしています。「住民との合意形成を優先するべきか、復興のスピードを優先するべきか」で揺れていた多くの被災地では、やっと「まちづくり」事業が始まりました。事業の完成までは、更に4年から5年の時間が必要です。人々が町に戻ってきて、地域での生活が再建されるのは、まだまだ先になりそうです。

 

第15回 復興事業の現在                  [PDF]

■震災から3年余り。被災地では、震災直後市街地を埋め尽くしていたがれきの処理も終わり、高台移転や住宅再建など地域再生に向けた工事が本格化しています。しかし、復興事業は、建設資材や人手の不足で入札不調が相次ぎ、その遅れが懸念されています。ようやく動き出した復興事業の現状です。
〇高台造成 陸前高田市
■高台造成ため山を掘削して出た土砂750万立方メートルを気仙川対岸の旧市街地の盛土に流用する工事が、2014年3月から始まっています。延長3000メートルにも及ぶ巨大なベルトコンベヤーが、一日2万立方メートルの土砂を運び出し市街地を8~10メートル嵩上げするものです。
〇三陸鉄道南リアス線 唐丹駅
■震災から1,123日。第三セクター三陸鉄道は、国の災害復興金により全線で運行が再開しました。被害の特に大きかった南リアス線唐丹駅付近では、駅舎と近くの荒川橋梁が復旧され、NHKの連続テレビ小説「あまちゃん」で脚光をあびた北リアス線と共に三陸沿岸の観光資源として期待されます。しかし、南北リアス線を結ぶJR山田線は被災したままで、復旧へ向けた協議がJR東日本と地元市町村の間で続けられています。
〇まちづくり イオンタウン釜石
■商業復興の核として釜石市が誘致した「イオンタウン釜石」が、津波で浸水した中心市街地に、3月14日オープンしました。災害時には、屋上を避難場所として提供、食料などの支援も行うとしています。周辺には公共施設も誘致してにぎわいの拠点とする計画です。
〇道路 宮城県相馬亘理線 名取市
■宮城県南部の海岸地域では、堤防を兼ねた県道の嵩上げ工事が始まりました。国で整備中の海岸堤防や防災林と一体となって被害の軽減を図る目的で、県道を約6メートル盛土して整備するものです。県道に平行して走っている仙台東部道路では、東日本大震災による津波がせき止められ、被害が軽減されてその効果が実証されました。
〇海岸堤防 宮城県南部 岩沼市
■仙台湾南部の海岸保全施設の整備が進んでいます。2015年3月までに、海面から7.2メートルの堤防、約30キロメートルを整備する計画です。陸側の端部を強化したり、頂部に空気孔を設けたりして粘り強い構造で造られています。仙台空港や下水処理施設などの重要公共施設の前面は2013年3月に完成、2014年3月現在、全体の7割の堤防が整備されています。
■多くの被災地域では、震災前から過疎化や高齢化が進んでいました。更に復興の遅れから人口の流出が進み、新たな「まちづくり」にも影響が出始めています。道路や堤防などハードの整備を進める一方で、地域住民にとって暮らしやすいまちづくりを実現するために、自治体による地域サービス向上や産業の復興が強く求められています。

 

第14回 道の駅の復興                  [PDF]

■現在、東北地方に道の駅は、142設置されており、そのうち17の駅が太平洋沿岸地域にあります。東日本大震災で、四つの駅が津波により壊滅的な被害を受けたほか、二つの駅が福島原発事故の影響で長期の休業を余儀なくされました。
○道の駅「みやこ」岩手県宮古市
■岩手県を縦横に結ぶ国道45号と国道106号の交差する交通の要衝にあり、地域の観光拠点となっています。宮古港の出埼埠頭にある建物は、宮古湾に面していたことから一帯を襲った津波で半壊しました。施設は2012年3月に、プレハブの仮設店舗で営業を再開していましたが、2013年7月6日、復旧工事を終え2年4カ月ぶりに再オープンしました。
○道の駅「高田松原」岩手県陸前高田市
■国道45号沿いの白砂青松の浜・高田松原にあるため、大津波により壊滅的な被害を受けました。現在、駐車場に仮設の「東日本大震災追悼施設」が設置され、多くの人々が訪れて追悼の場となっています。被災した施設は、防災メモリアル公園の一部に震災遺構として保存が検討されています。
○道の駅「大谷海岸」宮城県気仙沼市
■国道45号沿いのJR気仙沼線大谷海岸駅に併設されて、日本一海水浴場に近い駅として親しまれていました。大津波により大きな被害を受けたJRの駅舎は、取り壊されましたが、道の駅の直売センターは、2013年4月、復旧工事を終え再スタートしています。今後、道の駅は、防潮堤整備に合わせ国道45号の内陸側高台に移設する方向で調整が進んでいます。
○道の駅「よつくら港」福島県いわき市
■太平洋沿いを走る国道6号に面する四倉漁港に隣接する施設です。漁業資材を置く木造番屋を改造した建物は、天井まで達した津波で全壊しました。新施設は、2012年8月、貯水槽や資材庫を設けた一部3階建ての鉄骨造りで津波に強い構造に作り変えて再建されました。
○道の駅「南相馬」福島県南相馬市 〇道の駅「ならは」福島県双葉郡楢葉町
■国道6号沿いにある道の駅「南相馬」は、一時、原発事故の影響を受けて営業を休止していましたが、3カ月後の2011年6月1日に再開しています。しかし、国道6号沿線の道の駅「ならは」は、現在も避難指示解除準備区域にあるため再開の目処は立っておりません。
■東日本大震災直後、被災地近隣の道の駅では、緊急避難者の受け入れや広い駐車スペースを利用して被災地救援の活動拠点として機能していたほか、被災者への情報提供など様々な支援を行いました。今も、被災地へ向かうボランティア等の休憩基地として利用されています。
■昨年8月には、東北地方整備局が、道の駅など4カ所に、東日本大震災の被害を伝える震災伝承コーナーを設置しています。石巻市の道の駅「上品の郷」には、地元建設会社による復旧活動を紹介するパネルや、津波で流された道路パトロールカー、折れ曲がった道の駅「大谷海岸」の案内標識が置かれていました。あの日を伝える取り組みが「道の駅」でも始まっています。

 

第13回 記憶を未来に震災遺構               [PDF]

■東北太平洋沿岸を襲った大津波は、かけがえのない命や自然、施設を一瞬にして奪い去りました。当初、津波の恐ろしさを伝えていた様々な施設や構造物は、時間の経過とともに消えたり新しくなっています。その一方で、震災の記憶を風化させないために、被災した施設や構造物などを、「記憶を刻む震災遺構」として残す取組もあります。
○宮城県山元町「旧中浜小学校」
■校舎の2階天井まで津波が押し寄せましたが、児童、教職員、地域住民約90人は屋根裏に非難して全員が助かりました。町では防災教育の拠点と位置づけて見学を歓迎しています。
○宮城県石巻市「旧門脇小学校」
■校舎は、津波被害とともに火災被害にも見舞われた状況がそのままの状態で残されています。市では一度解体を決めましたが、保存を望む声が上がり、区画整理の状況を見極めながら対応を決めたいとしています。
○宮城県女川町「倒壊鉄筋コンクリートビル」
■被災地の中心部にある津波で転倒したRC構造建築物で、津波の破壊力を物語る象徴として保存が検討されています。建物周辺では大規模な復旧工事が本格的に進められています。
○宮城県南三陸町「高野会館」
■4階建ビルの屋上まで達した津波から逃れるため、エレベーター室や高架水槽に避難した327人全員が救助されました。所有者の南三陸ホテル観洋グループでは、被災教訓を語り継ぐ場が必要として公費での解体を見送っています。
○岩手県陸前高田市「道の駅高田松原」
■国道45号上にある道の駅で、浸水高15mを超える津波に見舞われ、内部の商用施設は破壊されました。市では被災した施設を「奇跡の一本松」とともに防災メモリアル公園の一部として保存する方針を決定しています。
○岩手県大槌町「旧役場庁舎」
■10mを超える津波で住宅地・市街地の50%以上が浸水、役場でも当時の町長ら職員40人が犠牲になりました。町では識者や遺族らと協議した結果、正面玄関付近の一部を保存する方針を決めました。
○岩手県宮古市「たろう観光ホテル」
■「万里の長城」に例えられた田老防潮堤の一部が崩壊し、4階まで津波が襲いました。昨年春に市と所有者が保存に合意しており、6階客室から撮影された津波映像は、同客室に限り防災ツアー客に公開されています。
■震災遺構の保存については、大槌町が民宿に乗り上げ、撤去した観光船の復元を検討するなど、多様な取り組みが提案されています。また、宮城県知事が国による費用負担を前提に県として関与する姿勢を示し、国も初期費用に復興交付金の充当を表明、行政による保存支援も動き始めています。東日本大震災シンポジュウムで、宮城県女川町の中学生が保存を訴えた提言の一部です。「私たちも、あわてて物事を片付けるのではなく、千年後の人々の命を守るために何をすべきか考えながら一日一日を大切に生きていきたい」。被災地でも、大震災の教訓を後世に伝えていくという課題に向かい合うべき時期が来たのかもしれません。

 

第12回 変わるまち高台移転                [PDF]

■いま、宮城、岩手の津波被災地では、高台や内陸への集団移転、災害公営住宅の建設、市街地の嵩上げ工事が本格化しています。防災集団移転事業は、今年8月で334地区のうち約4割の143地区で工事に着工、災害公営住宅も今年度内に約13,000戸で着手の予定です。
○宮城県岩沼市玉浦西地区
■被災地の中で最も早く集団移転のための造成工事に着手した岩沼市玉浦西地区は、今年7月に158区画の造成が完成しました。今後、道路や公共施設を整備して、来年の春には住民の入居が開始されます。市が被災直後から住民からの情報・要望をきめ細かく聞き取りしたことや地元で古くから農業を営んでいた人が多く、地域住民の合意形成がスムーズに進んだ結果です。
○宮城県東松島市野蒜北部丘陵地区
■移設されるJR仙石線の二つの新駅を中心に建設される新しいまちは、標高60メートルの高台に計画されています。旧市街地背後の丘陵地では、高度成長期のニュータウン建設を思わせる89.9ヘクタールの大規模な造成工事が最盛期を迎えています。来年6月までに、448戸の土地を移転希望者に引渡し、住宅建設に取り掛かる予定です。
○宮城県女川町中心地域
■津波による鉄筋コンクリートビルの倒壊が相次いだ女川町の中心地域では、市街地にあった家屋を高台に移す一方、跡地を商業や産業地域として再生するため、高台の造成工事で出る土砂を利用して市街地への盛土工事が進められています。国道398号沿いの標高40メートルの森林を伐採して造成した荒立西地区は、来年7月からの引き渡しが予定されています。
○岩手県陸前高田市市街地
■中心部がほぼ壊滅し、国道45号の気仙大橋が崩落した陸前高田市市街地では、復興市街地整備事業が、仮市役所の置かれている高田地区(235ヘクタール)と気仙川対岸の今泉地区(127ヘクタール)で進められています。陸前高田市の造成工事で発生した残土の一部は隣接する宮城県気仙沼市の嵩上げ工事にも利用される予定です。
■高台移転は、中心市街地などの利便性の高かった平地から高台への移転が中心です。車が欠かせない高台での生活は、津波からの安全性と坂の多い町に住む人々の利便性のバランス大きな課題となります。過疎化や高齢化社会がやってきて、コンパクトシティに再編成する時代にあえてニュータウンをつくるには、集団移転後の将来を見据えた復興まちづくりが求められます。

 

第11回 消え行く震災遺構                 [PDF]

■東日本大震災からの復興事業が進む被災地では、建物の取り壊しが進み、構造物が消えて行きます。震災前に市街地であった場所は、広大な更地となって草が生い茂っています。被災した構造物や施設のなかには、「大津波の記憶」として保存を検討しているもありまが、すでに解体されたり、撤去の方針が示されているものが大部分です。
■岩手県陸前高田市の中心部では、市街地を嵩上げして新しいまちをつくるため震災前から残る建物のほとんどが姿を消してしまいました。この中には、献花台が設けられ追悼の場になっていた「旧市役所」やタレントの千昌夫氏が設立に係わり陸前高田市のシンボルだった「キャピタルホテル1000」も含まれています。
■宮城県南三陸町では、津波が4階まで達し、入院患者107人の内72人と職員3人が死亡や行方不明となった「公立志津川病院」が遺族の意見を尊重して解体されました。そのほか、津波が屋上まで到達せず避難した600人全員が助かった仙台市宮城野区の「中野小学校」は、付近一帯が災害危険区域に指定されたことにより、解体が始まりました。また、建物の上に大型観光バスが乗っていた宮城県石巻市雄勝地区の「公民館」や地区を代表する「硯会館」も震災を思い出す人が多く早い撤去を望んでいた地元の意見で、速やかに解体されてしまいました。
■議論を重ねた結果、撤去が決まった震災遺跡候補もあります。宮城県気仙沼市鹿折唐桑駅前の巨大漁船「第18共徳丸」は、気仙沼市が「津波の脅威を伝承する震災遺構として保存したい」と周辺を緑地として整備する計画をたてました。しかし、船がある地区の住民の多くが撤去を望んでおり、市が実施した市民アンケートでは保存を求める回答が16%に留まりました。この結果、気仙沼市では震災遺構として残すことを断念せざるを得ませんでした。
■岩手県釜石市鵜住居地区の「鵜住居地区防災センター」もこの10月に解体されることが決まりました。同センターは、市が指定する津波避難所ではありませんでしたが、震災前の避難訓練に使用されたことから、多くの住民が勘違いして逃げ込みました。244人が避難し、210人が犠牲になったとの報告もあります。また、宮城県南三陸町の防災対庁舎も、被災当時の姿を残す震災遺構として保存を望む声もありましたが、つらい記憶がよみがえるとした遺族らの心情に配慮して町が保存を断念、解体が始まります。
■被災地の多くは、まだ家々の基礎は残っています。しかし、がれきは片付き被害の大きさを実感できる被災施設はほとんど残っていません。地域の人々にとっては、見るたびにあの日の惨状を思い起こさせる建築物や施設ですが、まちの復興が進む一方で震災の記憶を未来に伝える遺構も消えて行きます。

 

第10回 そそりたつ巨大堤防                [PDF]

■「三陸海岸を旅する度に、私は、海に向かって立つ異様なほどの厚さと長さをもつ鉄筋コンクリートの堤防に眼をみはる。その姿は一言にして言えば大袈裟すぎるという印象を受ける」これは、昭和45年に刊行された吉村昭の「三陸海岸大津波」の一節です。しかし、東日本大震災による津波はこの巨大堤防を乗り越え、背後の集落を襲いました。東日本大震災の被災地では、防潮堤整備計画が進み、本格的な工事が始まっている地域もあります。防潮堤の高さは、数十年から百数十年に一度といわれる明治三陸津波程度の津波を想定して計画されています。
■岩手県宮古市田老地区では、X字形の2重防波堤のうち、地盤沈下した陸側の第2線提を70センチ嵩上げする工事が始まりました。海側の第1線提は、現在の10メートルから14.7メートルにして年内の着工を目指しています。
岩手県山田町浦の浜地区でも、破壊された既設の防潮堤(6.6m)を前に出して9.7メートルの高さにする工事が進んでいます。
宮城県南部の名取市・岩沼市仙台空港前面の海岸では、重要施設である空港を守るためいち早く工事に着手、高さ10mの防潮堤が既に完成して新たな災害に備えています。
■一方、防潮堤の高さや設置場所の見直しを求めている地域もあります。
宮城県気仙沼市の大谷海岸では標高9.8メートルの防潮堤が計画されています。この地域では、景観や砂浜を確保して、また国道から風景が見える程度の高さにしてほしいという意見を受け、防潮堤の位置を内陸側に移す方向で協議が始まりました。
岩手県大船渡市の綾里では、現行高7.9メートルから14.1メートルに整備する案で提示されましたが、住民懇談会を開き11.6メートルに変更することで了承しました。
岩手県釜石市鵜住居町の根浜海岸では、景観を守り観光地として復活するため、震災前と同じ5.6メートルの防潮堤整備と高台移転による地域再生を選択しました。
■三陸沿岸のような、平地の狭い地域では、防潮堤の高さや設置場所がまちづくりと密接に関連しています。被災地では避難道路整備や背後の土地利用、将来どのような地域にするのか等の「まちづくり計画」が進まない中で、防潮堤整備だけが先行することへの不安もあります。水産業、観光、住民の安全と利便性、高さへの抵抗など、地域の意見をひとつにまとめる事は、困難な作業が伴います。震災から2年半、「地域の防潮堤をどうするか」今一度立ち止まって考える必要があるかも知れません。

 

第9回 鉄路の復旧                     [PDF]

■環境省は5月24日、青森県の八戸市から宮城県の気仙沼市までを「三陸復興国立公園」として指定しましたが、震災前この「三陸復興国立公園」を結ぶように臨時快速「リアスシーライナー」という列車が、運転されていました。
■八戸、仙台間400kmを10時間あまりかけて走行、八戸から八戸線、三鉄北リアス線、山田線、三鉄南リアス線、大船渡線、気仙沼線、石巻線、東北本線を経て仙台に至る8路線をまたいで走るものでした。東日本大震災は、まさにこの列車の走行ルートを寸断し甚大な被害をもたらしました。また、東北地方太平洋沿岸の鉄道は、仙石線、常磐線も大きな被害を受け一部で運休が続いています。
〇被災した東北地方太平洋沿岸の鉄道(北から)
① 八戸線  (八戸~久慈)    全線復旧済
② 北リアス線(久慈~宮古)    平成26年4月全線復旧予定
③ 山田線  (宮古~釜石)    復旧計画未策定
④ 南リアス線(釜石~盛)     平成26年4月全線復旧予定
⑤ 大船渡線 (盛~気仙沼)    BRTによる仮復旧済
⑥ 気仙沼線 (気仙沼~前谷地)  BRTによる仮復旧済
⑦ 石巻線  (前谷地~石巻~女川)平成26年度末の全線復旧要望
⑧ 仙石線  (石巻~仙台)    平成27年度中に全線復旧予定
⑨ 常磐線1 (仙台~原ノ町)   平成29年春ころ復旧予定
       (広野~勿来)    平成29年春ころ復旧予定
⑩ 常磐線2 (原ノ町~広野)   復旧計画未策定
■全線で復旧がなされたのは、比較的被害の小さかった八戸線のみです。NHKの朝の連続テレビ小説「あまちゃん」のモデルとなった第三セクター三陸鉄道南北両リアス線は、国の支援を受けて、平成26年4月の完全復旧に向けて工事中です。大船渡線と気仙沼線の不通区間は、一部線路敷地を舗装して、BRT(バス高速輸送システム)による仮復旧で運行が再開されています。また、石巻線、仙石線、常磐線1の不通区間は、ルートを内陸側に移設するなどして、再開の準備が進められています。
■一方、復旧の計画が進んでいない路線もあります。常磐線の原ノ町~広野間(54.5㌔)は、福島第一原発事故の警戒区域があり、復旧のめどは全く立っていません。また、山田線の宮古~釜石間(55.4㌔)は、地元が、鉄路による復旧を求めていますが、巨額の費用投資(210億円)をJRがためらい、国の支援も現行制度では難しいとして手付かずの状態が続いています。
■鉄路はつながってこそ力になります。南北両リアス線をつなぐ山田線の復旧は、国、自治体、JRが連携して取り組むことが重要です。「リアスシーライナー」が、再び三陸海岸縦貫鉄道を走行する日が来ることを願ってやみません。

 

第8回 宝の海                       [PDF]

■千島列島を南下した寒流系の親潮と南から流れてくる暖流系の黒潮のぶつかる三陸沖は、魚の宝庫として知られ世界的にも有数の漁場を形成しています。この豊富な魚を求めて日本各地から漁船が集まってきます。東北一の水揚げを誇る気仙沼漁港をはじめ釜石漁港や大船渡漁港も、三陸沖を漁場としています。
■また、地殻変動がつくりだした複雑な岩礁が連続する沿岸域は、ワカメ・コンブ・ウニ・アワビなど水産性の動植物が多く生息しています。入り組んだ岩礁や入り江では、沿岸漁業や養殖漁業が営まれており、そのひとつひとつに小さな漁港があります。これら「その利用が地元の漁業を主とする」第1種漁港は、岩手県で83港、宮城県で115港もあります。
■岩手県田野畑村の机漁港は、入り江の奥に開けた小さな漁港でウニやアワビなどの磯漁業のほかワカメやコンブの養殖を中心に利用されています。ここには、漁村の文化や風景がそのままの姿で「机浜番屋群」として残っていました。現存していた25棟の「番屋」は、昭和8年の大津波以降に建築されたもので、平成18年に水産庁の「未来に残したい漁業漁村歴史文化財百選」にも選ばれています。「番屋群」は東日本大震災による津波で跡形も無く流されてしまいましたが、地元では、再生プロジェクトを立ち上げ復興活動を始めております。
■本州の最東端、とど(トド)ヶ崎の付け根にある岩手県宮古市の姉吉漁港は、コンブやワカメの養殖を行なうため、主に地区の12世帯が利用しています。姉吉漁港のある重茂半島は、地域の9割以上の人が漁業に従事し、年間の水揚げ額が1000万円を超える漁業者が多い地域として知られています。重茂漁業組合に所属していた800隻の漁船は、16隻を残して流出してしまいました。しかし、漁協は、残った漁船と他県から買い付けた中古漁船を共同利用して組合員が地域から離れることなく漁業を続ける仕組みをいち早く作り上げました。
■宮城県女川町の女川原発のすぐ隣には、小屋取漁港があります。カキ・ホタテ・ホヤなどの養殖を行っており、大震災による津波では、22棟が被災し、12人が亡くなっています。13mの津波に襲われた女川原発は、14.8mの高台にあり最悪の事態は免れました。その後、防潮堤は17mにかさあげされ、さらに29mにする計画も進められております。
■三陸沿岸の基盤産業である漁業の復興は、「職住一体型のまちづくりの見直し」と「大規模漁港への機能集約」そして、「水産特区による新しい経営形態の導入」を柱として進められている地域もあります。自然と共生した産業と安全な暮らしを実現するため、三陸の海の幸を生かした地域おこしに繋がる復興を願うものです。

 

第7回 過去の高台移転                   [PDF]

■被災地では災害廃棄物の処理にも一定の目処がつき、復興に向けた「新たなまちづくり」が始まっています。宮城県女川町中心部の先行復興エリアでは、市街地背後の丘で高台移転のための宅地の造成工事が、宮城県東松島市野蒜地区では、89.9ヘクタールの丘陵地で住宅地・JR仙石線・商業施設・学校の大規模な高台移転工事が、進められています。
■しかし、明治三陸津波・昭和三陸津波・チリ地震津波で被災し高台移転したにもかかわらず東日本大震災による津波に襲われた地区が、宮城・岩手両県で21地区にも及ぶという調査もあります。
■一方で過去の高台移転により、東日本大震災の津波による被害を免れた地区もあります。そのひとつが江戸時代から国内最高級の乾鮑「キッピンアワビ」の産地として知られる岩手県大船渡市三陸町吉浜地区です。明治の津波では人口の2割に当たる約200人の犠牲者を出しました。このため、当時の村長が家屋を標高16~20メートルの高台に集団移転し、低地の集落跡地を水田として利用することを進めました。今回の津波で低地の水田は浸水してしまいましたが、昭和の津波で被災した地区も含め県道沿いの高台に移転していた集落は、被害を免れました。地区の中心を通る三陸鉄道南リアス線は平成25年4月3日、盛~吉浜間で運転が再開されて復興に一歩を踏み出しています。
■同様に被害を免れた地区に岩手県釜石市唐丹本郷地区があります。明治と昭和の津波で海岸部の家屋が全滅した本郷地区では、住民たちが裏山を切り崩し、標高25メートルの高台に約100戸が集団移転しました。高さ10メートルの防潮堤を乗り越えて遡上高20メートルに達したとみられる今回の津波でも集団移転した家屋は、無事でした。しかし、新たに転入してきた人々が低地に建築した家屋は、津波にのみ込まれてしまいました。本郷地区には、江戸時代に伊能忠敬の功績をたたえて建立された「測量の碑」が貴重な資料として残されていますが、石碑は高台にあり無事でした。
■高台移転は明治や昭和の大津波の度に提唱され実施されてきましたが、結局は低地に戻り頓挫した例が数多くみられます。三陸沿岸の街の多くは漁業・水産業を中心として生活が成り立っており、そこでは暮らしと産業が密接に関係して単純に高台に住んで海辺で生活するといった職住分離が難しいことも理由にあげられます。
■秋田県では先に厚生省が発表した2040年の地域別人口推計で、人口減少と高齢化が全国で最も早く進むとされましが、事情は三陸沿岸地域も同様です。被災した市町村のほとんどが高齢化と過疎化や人口減少を抱えており、地域の事情に即した対策が求められているところでした。高台移転事業は、地域の安全と利便性のバランスを取りながら進めて行かなければ、巨額な費用を費やして安全なゴーストタウンを造ることにもなりかねません。

 

第6回 平成の万里の長城                  [PDF]

■岩手県を南下してきた北上川は、宮城県登米市津山町付近で新北上川と旧北上川に分かれ、それぞれ追波湾と石巻湾で太平洋に注いでいます。一方、福島県を北上してきた阿武隈川は、宮城県岩沼市と亘理町の境で太平洋に流れ込みます。
■この旧北上川河口と阿武隈川河口は、延長60kmの仙台湾沿いに、北上運河、東名運河、松島湾を挟んで、貞山運河で繋がっており、これらの運河は、江戸時代から明治にかけて米や塩を運ぶためや農業用水路として海岸砂丘を改作して整備されてきたものです。現在では河川交通としての役割を終え、農業用水路・漁業基地・緑地公園として地域の人たちに親しまれてきました。
■しかし、運河東側の太平洋から襲った東日本大震災による津波は、この素晴らしい景観を見るも無残に破壊しました。津波は、北上運河沿いの東松島市大曲で5.6m、東名運河のある東松島市野蒜で10.3m、そして、南貞山運河の流れる仙台市荒浜で12.2m、名取市閖上で8.3mの高さで、この地域を襲いました。浸水区域も仙台市南部では、背後地が平坦であることから、海岸線より5km西側を走る仙台東部道路にも達して、仙台平野に甚大な被害をもたらすことになりました。
■このため、宮城県の南部海岸では、海岸堤防の嵩上げ、海岸防災林・防災緑地の設置、道路の嵩上げなど、複数の手法を組み合わせた「多重防御」による復旧・復興整備が進められています。整備の概要は、第一線提として明治三陸津波程度(数十年から百数十年に一度)の津波に耐えうる海岸堤防を7.2mに嵩上げ、海岸堤防の裏側に緑地帯を設け防災林と運河を一体的に整備、第二線提として県道塩釜亘理線等の道路を6.0mに嵩上げするものです。
■このうち、仙台湾南部海岸の第一線堤防は、国土交通省東北地方整備局により延長30km、高さ7.2m、上幅4.0m、下幅で30.0mにも及ぶ構造物が整備されつつあります。堤防の盛土材には震災がれきが活用され、重要保全施設を守る工事は、一部工区で完成している個所もあります。また、裏側法面への覆土には海岸林、樹木を活用して景観にも配慮する計画です。
■同じような海岸堤防は宮城県石巻市南部の渡波地区から山元町まで、そして、福島県の沿岸部でも同様の手法で整備をはじめており、宮城県南部から福島県までの海岸線沿いに、高さ7.2mを超え、延長200kmに及ぶ、まさに「平成の万里の長城」と呼ぶにふさわしい海岸堤防が出現しようとしています。
■日本海中部地震から既に30年、秋田県では平成24年12月に県沖の3海域が連動するM8.7の地震を念頭に新たな被害想定をまとめました。秋田市では13.6m、潟上市で11.4m、男鹿市で10.8mの津波が押し寄せる恐れがあります。秋田県の沿岸地域では、新たな海岸堤防の建設は困難であることから、海岸林の整備・避難ビルの設定・防災教育などソフト対策を含めた「減災」という視点から、新たな想定津波に備えて行くことが求められます。

 

第5回 国道45号                      [PDF]

■国道45号は仙台市青葉区勾当台公園前から太平洋沿岸を経由して青森市の県庁前に至る、延長540kmの路線で、リアス式海岸の段丘部と市街地や港のある平地部とを交互に通過するため、急な坂やカーブが連続しています。
■三陸沿岸の町は、この国道45号と部分区間で整備が進められている三陸縦貫道によって繋がれており、三陸縦貫道の整備が進まないなか、国道45号が最も重要な流通路線となっています。また、陸中海岸国立公園や金華山国定公園を通過するため、東北地方太平洋岸における観光ルートの一面もあります。
■これらの道路は、三陸沿岸を縫うようにして通過しているため、東日本大震災では、最も大きな被害を受けた地域と重なることになりました。地震による地盤沈下や津波の影響により22箇所で通行止めや通行規制が行われ、100メートルを超える長大橋も3箇所で津波により落橋してしまいました。落ちた橋は震災から4箇月後の平成23年7月10日までに仮橋や代替路線で供用を開始しました。平成24年9月28日には石巻市成田地区の土砂崩れ現場の完成を最後に全面開通しています。

●歌津大橋(南三陸町・304m)    平成23年4月11日=県・町道を国道45号に編入して開通
●小泉大橋(気仙沼市・182m)    平成23年6月26日=仮橋で開通
●気仙大橋(陸前高田市・181.5m)  平成23年7月10日=仮橋で開通
●石巻市成田地区(石巻市)土砂崩れ  平成24年2月3日=片側通行 9月28日=全面開通

■国交省は被災から、一週間で内陸から沿岸までのルートを確保する「くしの歯作戦」で国道45号の97%の通行を確保しました。国土交通省や陸上自衛隊が「道路啓開」と呼ばれるガレキを撤去し交通を確保するにあたり中心的な役割を担ったのは知られているとおりです。しかし、自衛隊や消防、警察が現地にたどり着くまでの道を付けたのは、道路管理を委託された維持管理業者や地域の建設業者でした。それにもかかわらず、各地にある「道の駅」にも自衛隊、消防、警察、を讃える掲示はありましたが、地域の建設業者への感謝する掲示は見当たりませんでした。
■「建設業は危機管理産業であり、町医者であるから、病気になろうがなるまいが地域にいなければならない。災害が起きてから、死んだ業者を起こしてくるわけにいかない」これは、宮城県建設業協会長の発言です。
■私たちは、地元の人々に地域の建設業を理解してもらうため、「地方の建設業は地域を守っている」というメッセージをしっかりと伝えていかなければなりません。

     

第4回 地域を守った巨大水門                [PDF]

■東日本大震災により引き起こされた大津波は各地で防潮堤や水門を破壊したり、越流して背後の集落に甚大な被害をもたらしました。一方で防潮堤や水門が有効に機能したため市街地における大きな被害が避けられた地域もあります。
■三陸沿岸は、過去に何度も大津波に襲われており、近年では明治29年(1896年)の津波や昭和8年(1933年)の津波があります。これは三陸海岸特有の地形によるもので、鋸の歯状に入りこんだ湾の奥まったところに集落が営まれていることが被害を大きくしています。過去に壊滅的な被害を受けた地域のひとつに岩手県北部の普代村があります。
■普代村では明治29年には高さ14.6メートルの津波で1,010人の死者・行方不明者を、昭和8年の津波でも600人の死傷者を出しました。このため、村では、高さ15.5メートル、延長205メートルの普代水門と延長155メートルの太田名部防潮堤を総工費36億円をかけて完成させました。この費用は人口3千人の村には巨大な出費で、「万里の長城と呼ばれた田老地区の防潮堤(10メートル)を上回る計画は必要ない」との批判もありましたが、当時の村長がやり遂げたそうです。
■この結果、今回の東日本大震災では、津波による被害が宮古市田老地区と普代村とで大きく分かれることになりました。田老地区では津波が防潮堤を越え壊滅的な打撃を受けたのに対して、普代村では津波が水門を超えたが勢いをそがれ、付近にある小学校や村中心部は被災をまぬがれました。また、太田名部地区でも防潮堤に守られて集落の浸水被害はありませんでした。防潮堤の外側にある漁港は甚大な被害を受け、海岸に出掛けた1名が行方不明になりましたが、被害は最小限に抑えられました。
■東日本大震災に襲われた被災地では、津波対策として、海岸部防潮堤の復旧工事が始まっている地域もあります。復興計画の多くは明治29年(1896年)の大津波程度(数十年から百数十年の頻度)の高さを想定して計画されています。また、今回のような最大クラスの津波に対しては道路等の嵩上や高台移転そして、災害教育などにより対応しようとしています。
■秋田県でも想定津波高さの見直しが進められております。千年に一度といわれる大災害に公共事業でどこまで備えるべきか安全・安心に関わることだけに考えさせられるところですが、災害を構造物で完全に防ぐのではなくソフト対策も含めた、被害を少しでも和らげる「防災」から「減災」への発想の転換が必要かもしれません。

     

第3回 三陸復興国立公園                  [PDF]

■環境省は、三陸沿岸の地域経済再生を観光面で支援するため、青森県の種差海岸から宮城県の松島までの自然公園を、「三陸復興国立公園」として再編することを進めています。
■災害時に避難路となる長距離海岸トレイルを整備、また被災した農林漁業者と連携して、エコツーリズムを推進することで、地域の雇用も図り、復興への貢献を果たすとしてビジョンを策定しております。
■復興公園の範囲は、南北約350㎞で、青森県から宮城県までの6自然公園が含まれます。地形的には、宮古湾以北が隆起海岸で河岸段丘が発達し断崖が連続しています。一方、宮古以南は沈降海岸を示すリアス海岸で湾と岬が交互に連続しています。その中心となる「陸中海岸国立公園」は、東北地方の太平洋側約180㎞に渡って指定されている海の景観が美しい国立公園で、大断崖が続くさまは壮観であり、「海のアルプス」とも賞されています。また、気仙沼や釜石など日本有数の水揚げを誇る漁港を有しており、新鮮な海の幸を味わうことができるのも魅力のひとつです。
■再編のスケジュールは、震災の前から拡張を目指していた種差海岸階上岳県立自然公園が平成25年5月の告示で決定しており、南三陸金華山国定公園を含めた拡張は25年秋以降に、宮城県内の県立自然公園の編入は、今後検討するとしています。
■また、国立公園の名称に「復興」を入れることについては、「普遍的な価値を持って指定される国立公園の名称に復興はそぐわない」「被災地はいつまでも復興で無い」などの意見があり、引き続き関係者での議論が必要であるとしています。
■皆さんも、再編される「三陸復興国立公園」を旅して、美しい景観と新鮮な海の幸を味わってはいかかですか。

〇再編される自然公園
① 種差海岸階上岳県立自然公園(青森県立)
② 陸中海岸国立公園     (国立)
③ 気仙沼県立自然公園    (宮城県立)
④ 南三陸金華山国定公園   (国定)
⑤ 硯上山万石浦県立自然公園 (宮城県立)
⑥ 松島県立自然公園     (宮城県立)

     

第2回 大津波の記録                    [PDF]

■大震災から一年半、今回の東日本大震災に襲われた被災地には、過去の津波の教訓を伝える石碑や民話が残っております。各地に残る石碑や民話について記述しました。

○宮城県仙台市若林区 「浪分神社」
■宮城県仙台市若林区に「浪分神社」と呼ばれる小さな神社があります。1703年(元禄16年)に建立、1835年(天保16年)に海岸から5.5キロメートル、標高5メートルの現在地に移され、過去にこの付近に達した津波が二手に別れ引いて行ったという言い伝えから名付けられたといいます。今回の津波は、仙台東部道路にせき止められ、この地にまで及びませんでしたが、道路が無ければ神社まで届いていたかもしれません。

○岩手県大船渡市赤崎町「石碑」
■岩手県大船渡市赤崎町の大船渡港が一望出来る高台には、「地震があったら津波の用心 津波が来たら高いところへ」と書かれた石碑が建っておりました。
■この石碑は、昭和8年の三陸大津波の後に建立されたと思われますが、高台に石碑がある赤崎地区は8メートルを超える今回の津波で甚大な被害を受けております。

○岩手県宮古市重茂「石碑」
■さらに、岩手県宮古市重茂姉吉地区には、「ここより下に家を建てるな」と大変わかりやすい先人の教訓を伝える石碑が建てられています。これも昭和8年以降の建立とみられ、この地区の住宅はこれより下に建てられたことが無く、今回の津波も石碑より下で留まったそうです。このような津波記念碑は、青森県から宮城県に至る三陸沿岸各地に約200基建てられているといわれ、当時の被害の状況を伝えています。

○宮城県気仙沼市大島
■また、宮城県気仙沼市大島には津波にかかる少し不気味な伝承が残っています。大島は、気仙沼湾入り口にある自然が豊かな、東北地方最大の有人島で、その美しさから「みどりの真珠」と讃えられ、3000人の人々が生活しています。
■この島には「みちびき地蔵」という民話が伝わっております。これから亡くなる人の魂は、その前日に天国に導いてもらうために「みちびき地蔵」の前に現れるというもので、地蔵の前で見かけた村人や家畜は、翌日押し寄せた大津波で亡くなってしまうという伝承です。
■今回の大震災で大島では40人の死者や行方不明者がでました。大津波で孤立した島は、対岸の気仙沼市から流れ着いた燃えたがれきで、島北部の亀山が山頂部まで炎上しました。その火の手は、山頂部からロープウェイリフトのロープを伝い、山の南麓の集落にまで迫り、島民が力を合わせて鎮火にあたったそうです。その後、島では、アメリカ海軍航空隊による空輸と揚陸艦エセックスから揚陸艇で上陸したアメリカ海兵隊による支援活動が行われました。アメリカ軍の「トモダチ作戦」の舞台になった島です。みちびき地蔵を安置していた地蔵堂は、津波で流出しましたが、この10月25日に再建されるそうです。

○現代の津波標識
■国土交通省三陸国道事務所では、国道45号で、東日本大震災を含む過去の津波で浸水した区間を示す新標識の設置を始めました。「ここから過去の津波浸水区域」と明示した道路標識で、岩手県野田村から着手し、年度内に岩手・宮城両県の計51区間に整備する予定です。
■今度は私たちが、今回の震災で学んだ教訓をいろいろな方法で後世に伝えて行く事になります。

     

第1回 震災遺構の保存                   [PDF]

■大震災から一年半、被災地では建物の解体が進みつつあり、津波の傷跡を残す遺構を保存するか否かで、様々な議論が持ち上がっております。今回は、各地の遺構とその現状について整理してみました。
〇主な遺構とその現状
① 岩手県宮古市     「たろう観光ホテル」
②    大槌町     「観光船はまゆり」
③    陸前高田市   「奇跡の一本松」
④ 宮城県南三陸町    「防災対策庁舎」
⑤    気仙沼市    「巨大漁船」
⑥    気仙沼市    「雄勝公民館観光バス」
⑦    女川町     「女川交番」
⑧    石巻市     「巨大缶詰」
■既に撤去済みの遺構は、2012年3月に市が撤去した気仙沼市雄勝町の⑥「公民館観光バス」と、2012年6月に水産加工会社が被災者の心情に配慮して撤去した石巻市の⑧「巨大缶詰」です。缶詰の残骸は東京芸大の学生が椅子やテーブルに再加工するそうです。
■また、大槌町の②「観光船はまゆり」は、2011年5月に釜石市が撤去・解体しましたが、2012年大槌町が軽量材で復元再設置を表明しております。
■保存する方向で進んでいるのは、宮古市の①「たろう観光ホテル」で、市が津波遺産として保存整備を決定しております。
■陸前高田市の③「奇跡の一本松」が、一度切断して、防腐剤処理のうえ、心棒を通して現地にモニュメントとして残すことは、ニュース等で報道されているとおりです。
■女川町の⑦「女川交番」は2012年6月から、町が「メモリアル遺構」として保存の募金を呼びかけております。
■また、南三陸町の④「防災対策庁舎」は解体、保存両方の陳情があり、方向性を出すことは難しいとしております。気仙沼市の⑤「巨大漁船」も、市が一帯を復興記念公園として保存を検討、予定していた解体を先送りしましたが、新聞社の実施したアンケートでは、地域住民の大部分が反対のようで、結論を見るに到っておりません。
■震災遺構の撤去を主張するのは「負の遺産を展示する必要はない」「震災のつらい記憶がよみがえる」「保存の費用負担は誰が負担するのか」など、被災者の心情に配慮した意見が多くを占めています。
■保存を主張する側は、「残すことがつらい経験や記憶を乗り越えることにつながる」「津波の恐ろしさを後世に伝える」など、未来の世代に街の被災の記憶を残すべきという考えのようです。
■そして「取り壊せば元にはもどらない。解体を先延ばしして議論を尽くすべき」と、今少し判断を先送りしたらとの意見もあります。

■皆さんは、どのように考えますか。


一般社団法人
秋田中央建設業協会

〒010-0951
秋田市山王4-3-7

TEL 018-862-7778
FAX 018-865-2443